鷗友会のあゆみ

同窓会の創立については、明治29年2月の母校類焼により詳細は不明である。しかし、現存する「録事」第3号(明治31年)に第2回卒の種村ゆき子が寄稿しており、創立当初の様子が伺い知れ る。またこの記事をもって同窓会の創立を明治24年5月1日と定めている。

同窓会に就き初思を述ぶ

種村ゆき子

東京府高等女学校同窓会は、はやく明治24年5月に創まり、卒業生等の、永く交誼を失はざらん事を期したる最初の会合は、其7月なりき。次で第2回は其9月に、第3回は翌25年7月に爾来春秋には必 開会、既に十数回を重ねたり。回顧すれば、第3回同窓会の頃は、会員数僅々百名ばかりなるうち、出席者は80名に餘り、和気藹々たりし当時の感今なほ記憶に存す。……後略……
罹災後の同窓会は、設備費の寄贈や、第1回生から第10回生迄の卒業写真を複製して学校に寄贈し、学校から感謝状を受けているのをみても、そ の活動ぶりが伺われる。

会名の由来

当初「東京府高等女学校同窓会」と称していたが、明治40年に会員より公募した中から候補会名 五つを挙げ、10月27日の秋季総集会に投票をもっ て、本会会名を「鷗友会」と決定、「同窓会録事」を「鷗友会会誌」と改名した。
(注)明治34年、校名が「東京府立第一高等女学校」 と改称された。
会名の由来については、後年、いろいろな解釈がなされているが、「鷗友」13号『会名につきて』の一文を基に母校「百年史」に考証されており、 白鷗高校の校名決定にも影響を与えている。

組織の変還

鷗友会は創立の翌年、明治25年に14条からなる最初の同窓会規約を制定した。当初は理事2名、委員各回2名を公選し会務を分担していたようである。会の目的は、『会員相互の交誼を親密にする』とある。昭和6年には『母校の隆盛と女性の向上をはかること』を加えているが男女共学になってからは『会員相互の親睦を厚くし、その向上をはかると共に母校発展に協力すること』を目的 としている。
「鷗友会」と改称後は、現職校長を会長とし、現・旧職員を特別会員としている。昭和10年には、現職校長が会長であっては不合理であり、不都合でもあるということで、校長は名誉会長となり、常務理事を置くことになった。
戦前は現職教員からの役員、会員の役員により運営がされており、特に会誌「鷗友」は「校友」創刊までは学校行事 その他記事多く、在・卒兼ねていたようである。戦後の新学制により母校は新しく東京都立白鷗高等学校となり、それにともない、昭和26年に大改正が行われ、会員自体の活動を主体とするため理事長制を採用、顧問に現校長を推戴した。その後長く、顧問・理事長・副理事長・理事・監事・評議員を運営してきたが、将来のスムーズな運営と資産の適切な保護、より積極的な事業の展開を目的とし法人格を取得、平成27年に一般社団法人鷗友会となった。

歴代会長・理事長

会長 伊藤貞勝 明治37年~大正7年 校長
会長 市川源三 大正7年~昭和10年 校長
名誉会長 市川源三 昭和10年~昭和15年 前校長
名誉会長 桜井賢三 昭和10年~昭和19年 校長
名誉会長 大館龍祥 昭和19年~昭和27年 校長
理事長 森智恵子 昭和27年~昭和29年 42回卒
理事長 龍知恵子 昭和29年~昭和44年 31回卒
理事長 山口冨喜 昭和44年~昭和54年 36回卒
理事長 本間皓司 昭和54年~平成25年 白6回卒
理事長 土屋雅司 平成25年~平成27年 白17回卒
一般社団法人鷗友会
理事長 土屋雅司 平成27年~ 白17回卒

鷗友会会員数

平成28年3月現在

第一高女 1回~64回 8.273名
白鷗高校 1回~68回 22.950名
併設中学 1回~2回 51名
高等科 1回~26回 720名
専攻科 1回 9名
準会員 90名

役員

平成28年3月現在

理事長 白17-4 土屋 雅司
副理事長 白25-8 松浦 菊枝
白26ー8 大和 英之
理事 白14-6 田中 晃子
白16-3 大澤 健次郎
白24-5 杉山 敦子
白25-5 鹿目 憲文
白25-8 三澤 敏宏
白25-8 荒井 幸子
白31-6 保科 慎子
白31-6 石井 さかえ
白37-3 吉田 啓子
白41-7 高橋 弘孝
白46-1 関谷 真理子
白55-2 柳沢 泰隆
白55-2 駒崎 恵
白58-4 野崎 絵美
監事 白26-2 津久井愼一
白41-4 赤池 照子